■登場人馬の説明
【うま】
# アフリートアレックス:主役。ケンタッキーダービー3着もプリークネスSで巻き返し優勝。父ノーザンアフリート、母マギーホーク。
# スクラッピーティー:ヒール役。ケンタッキーダービーは不出走でプリークネスS2着馬。4角でヨレてアレックスをあわや落馬の危機に。
# ジャコモ:史上2番目の大穴単勝オッズでケンタッキーダービーを制した馬。
# クロージングアーギュメント:こちらも人気薄でケンタッキーダービー2着になった馬。
【ひと】
# アレックス・スコット:小児ガンのため
4歳8歳で死去。ガン研究の資金を集めるため「アレックスのレモネード屋」を開いた。
[生産者]
# シルヴァータンド:アフリートアレックスの生産者。ガン闘病中。
# キャロライン:シルヴァータンドの妻。
# ローラン:シルヴァータンドの娘。
[調教師・騎手]
# ティム・リッチー:アフリートアレックスの調教師。
# ジェレミー・ローズ:アフリートアレックスの主戦騎手。若手。
# ジョン・ヴェラスケス:アメリカのトップジョッキーのひとりでアフリートアレックスにも騎乗したものの、よりによって一番悪いタイミングだった。
# ラモン・ドミンゲス:スクラッピーティーの騎手。左ムチで大騒ぎに。
[馬主]
# Chuck Zacney:アフリートアレックスの共同所有者グループ「キャッシュイズキング」の一員で業務担当者。妻はCarol。
# Joe Lerro:共同所有者のひとり。ほかにBob Brittingham, Joseph Judge, Jennifer Reevesがいる。
アフリートアレックスの母、マギーホーク(父ホークスター)はお乳が出なかった。そのため子馬に初乳(母胎の外で病気にかかるのを防止する抗体が豊富な流動食である)を与えることができなかった。子馬は初乳なしでは10%しか生存確率がないため、そのノーザンアフリートの息子に乳母を見つけなければならなかった。乳母が見つかるまでの12日の間、シルヴァータンドの当時9歳の娘ローランはクアーズ社(Coors)のライト(※有害物質の少ない)ボトルから毎日ミルクを与えた。ローランがアレックスにミルクを与えている写真は最終的にアレックスのWebサイトや各メディアに掲載された。
2年以上前、シルヴァータンドは末期ガンと診断され、たった2,3ヶ月の命しか残っていないとされた。アフリートアレックスが出世していくと、シルヴァータンドは化学療法を中断することを決め、アレックスの出世を十分に楽しむため「神の手」のなかにゆだねた。
その牡馬の名声が高まるのと同じようにローランの物語も有名になった。ケンタッキーダービー(G1)の前にシルヴァータンドと彼の妻キャロラインはネヴァダ州知事ケニー・グインとファーストレディーのデマ・グインから連絡を受けた。彼らはガン基金を始めようとしていて、それを支持するのに役立つのでローランの写真を使いたいと言った。
今、シルヴァータンドはプリークネスのレース後のセレブレイションの盛り上がりから離れたところに立っている。「身震いしている」と彼は言った。「彼(アレックス)が立ち直りカムバックしてきたことにはただ驚かされる」
シルヴァータンドはフロリダ州のレイクワースの自宅からプリークネスS前日にひとりでボルチモアに来た。体調が優れなくて自宅にいることを本気で考えていたがそのレースの場にいるべきだと決心した。このことが生き続けて目撃者となった理由だ。
「私のCEA(ガン検診)の値は下降していたが、再び上昇し始めている。」シルヴァータンドは言った。「そのため、ガンが再発しているか確認するため来週一通り検査をすることになっている。しかし何があろうと、長くはいられるとは思っていない。だから私にとってはすべてがすばらしかった。今、私はアレックスについてよい方向に向かうよう計画を立てようとしている。まずはベルモントS(G1)へ行き、次に美しいサラトガのトラヴァーズS(G1)に、そしてブリーダーズカップへ行こうと計画している。心の中ではすべて見ることができると思っている。起ころうとしているすべての興奮のため私は痛みを感じない。もしかすると今夜すべてが落ち着きを取り戻したとき、ほかのみんなと同様に感じないが、私はなお、かなり上機嫌だろう。」
「これはただの馬の物語ではない。アレックスのレモネード売り場があり、それはすべてのパブリシティーから恩恵を受けていて、大変多くの人々に競馬への関心を持たせた。いままで見ることができなかった多くのすばらしいことがこの世界にはあり、この場にいられることをうれしく思う」
アレックスのレモネード売り場とアフリートアレックスの関係は十分な裏づけがある。息子に由来する名前をアフリートアレックスにつけたZacneyは、神経芽細胞腫(小児ガンの攻撃的な形態)と診断された幼い女の子のアレックス・スコットについて聞いたことがあった。アレックスはガン調査のお金を集めるため表の庭にレモネード売り場をオープンさせようと決めた。うわさは世界中に広まり、寄付金は今や200万ドル以上に達した。
Zacneyがそれを聞いたとき、自然に彼の息子アレックスと、ほかの共同出資者の子アレックスとアレクサンドラからアフリートアレックスがという名前が心に浮かんだ。彼はその基金に5000ドルを差し出し、今ではアフリートアレックスの賞金の一部を寄付している。昨年8月、アレックス・スコットは8歳でガンとの闘病に敗れたが、レモネード売り場は生きている。ケンタッキーダービーでは約11000ドル、プリークネスSでは17000ドルが売り場に集まった。アフリートアレックスのキャラクター商品はすべてレモンで飾られていて、その基金のサポートを表現しており、収益の一部はアレックスのレモネード売り場に寄付している。
アフリートアレックス物語の心温まるフリンジの向こうに、アフリートアレックス自身と彼を取り囲む思いもよらない役柄の出演者がいる。
「平凡な男についての物語だ」Lerroは言った。「みんなは私たちをマイナーリーグの馬主と呼んだ。マイナーリーグの調教師とマイナーリーグの騎手を持っていると言った。さあ、聞いてくれよ。チャンピオンのハートについて知らなかったんだぜ。多くの人々は自分の馬や自分の調教師や騎手を持ちたいと願っているんだよ。」
かつては、アメリカの馬術チームの一員としてオリンピックにもう少しで参加していたショウホースの騎手だったリッチーは彼の人生を変える一頭の馬との初めての出会いを思い起こした。
「シルヴァータンドさんは子馬共同所有の協定にしたがってコイントスで馬を手放した」とリッチー。「醜いアヒルの子と思われていて、コイントスに勝った人(John Devers)は個人的に15万ドルで(Joseph Allenに)売却した。彼らが馴致し調教を施したが、彼(Allen)に買えと言った同じアドヴァイザーがアレックスを処分するように言った。それて彼はファシグ・ティプトンのティモニアム(Timonium)セールに上場された。」
デラウェアパ−クで調教をしていたリッチーは彼の兄弟とZacneyの親友のひとりを介してZacneyと出会った。Zacneyはリッチーのキャリアをフォローしていてときどき彼の管理馬に賭けていた。リッチーに自分と新しい共同出資組合(みなフィラデルフィアやデラウェアヴァレー地区の住民)のために馬を買ってくれないかと依頼した。
「そのときは新規の顧客を受け入れていなかった。」とリッチー。「厩舎はすでにいっぱいだったんだ。しかしいいやつだったし率直だったから本当に仲が良くなった。彼に『よし。小さなグループを作って何かやってやろう』と言ったのさ」
それ(※上の話、ね)が2004年4月のことだった。
1ヶ月後、リッチーとZacneyは2頭の馬を買うつもりでティモニアムセールに参加した。リッチーは気に入った7,8頭の牡馬を選び、そのうちの一頭がRobert Scanlonに馴致されたマギーホークの肌のノーザンアフリートの息子だった。
「極めて運動神経が優れていて、知性的でlaid-back(※?)な馬だと気づいた。」とリッチーは思い起こした。「彼の馬小屋で初めてあったとき、私の周りを歩かせた。歩く様子がとても大好きだった。そのときほかの馬も小屋の外にいて、飛び跳ねたり立ち上がったり叩いたりしていたが、(アレックスは)岩のように立っているだけで『君らは何をしてるんだい?』と言わんばかりにほかの馬をみていた。実に感心させられた。獣医にX線などで見てもらい、合格した。」
リッチーは12.5万ドルまで競り上げる用意があったが、5席向こうのひとりだけしか競りかけてこなかった。競りはリッチーが最初買おうとしていた半額足らずの75000ドルで落札するまで5000ドル単位でじりじりと進んだ。キャッシュイズキングは初めての馬を持った。
Lerroはギャンブルが不調な年だったのと何か活動を探していたので出資に参加した。始めに彼が思い出したことはZacneyに「もう一度、調教師の名前を教えてよ?」と何度も電話し質問したことだ。合わせて23馬身1/4差をつけてデラウェアパークでデビュー2戦を勝利したとき、大きなことを考えはじめるのにふさわしい機会だった。リッチーは彼の牡馬をpサラトガのサンフォードS(G2)とホープフルS(G1)を使って、それからベルモントのシャンパンS(G1)そしてローンスターパークのBCジュヴェナイル(G1)へ向かわせる、という計画をすらすらと書いた。
LerroはZacneyに電話し、言った。「こいつは誰だ?正気じゃないよ」。Lerroはサラトガへ行き、D・ウェイン・ルーカスを一目見て思った。「自分のリーグを抜け出すことになる。うまくやっていけない」
「思ったとおり、ティムが正しかった」と彼は続けた。「アレックスがサンフォードSを勝った(タイムはレースレコード)あとで、みんなはフランケルやほかのトップ調教師がドアを叩きに来るよと私たちに言い始めた。そのとき『ウォウ』という気分になった。それ以来、私はティムとChuckにお願いを止めることができなかった。」
150万ドルのオファーが入ってきたとき、彼は彼らにお願いした。そして200万ドルに増額されたとき、彼は彼らにお願いした。しかしZacneyと出資者たちは売却する意思はなかった。これは友達や家族で所有することや楽しむことを目的としていたからだ。ホープフルSで勝利したことで、かつては醜いアヒルの子だったアレックスは今やG1ウイナーになった。シャンパンSとBCジュヴェナイルで2つの惜敗でその年を終えたものの、それでも680,800ドルを獲得した。
オークロンパークでの冬の間、リッチーはアレックスの調教メニューに、ほかの調教師に冗談のネタにされるほどの劇的な変化を与えた。1日2回調教を始め、それは朝早くジョギングし、さらに続けて午前中後半に強くギャロップをさせるというものだ。
「BCの後、彼は厩舎で退屈にしてた。それで1日3〜5回どこかへ歩かせるようにした」リッチー曰く。「それから1日2回調教を始め、彼はこれを気に入っているようだった。どんな馬にもやっていいもんじゃないよ。だけど彼には本当に役立った。オークローンで私の方に近寄ってきて『おい、そっくりな2頭の馬がいるんだろ』と言ってきた調教師がいたよ」
2週間後のレベルS(G3)で散々に負けて(ローズからジョン・ヴェラスケスに乗り代わり、3対5の本命で最下位)しまう前の3月5日、アレックスは6FのマウンテンヴァレーSで印象的な勝利をあげた。
しかし重度の肺の感染症が発覚し、多くの人がダービー候補から外したがリッチーは決して自信を失っていなかった。7日間抗生物質を与え、4月16日のアーカンソーダービー(G2)に目標を定めた。ヴェラスケスが持ち場を離れブルーグラス(G1)に出走するトッド・プレッチャーのバンディニに行くことになると、リッチーと出資者は大きな決断を下す。ほかの有名な騎手を探すか、アレックス霊的ともいえる調和を作り上げたローズに戻すか。彼らはローズに義理を立ててアーカンソーダービーでの騎手に指名した。
「レベルS後、始めにアレックスを見に厩舎にやってきたのはジェレミーだった。」とZacneyは言った。「どれだけ彼がこの馬のことを大事に思っているか示すものだ。彼らふたりの結びつきは真に特別なものであり、ジェレミーに戻すことは実に当然なことだ」
アレックスの驚異的な8馬身差の勝利により、ケンタッキーダービーの有力馬の一頭に再び舞い戻った。チャーチルダウンズでは穴馬ジャコモとクロージングアーギュメントの後方の3着に終わったが、アレックスはその日最も悪いコース状態だった内々でレースをして1馬身差しか負けていなかった。
ダービーの1時間後、ジャコモの関係者がまだ祝杯を挙げているなか、服を着て荷物をまとめたローズはアレックスのレモネード売り場で写真にサインするため立ち寄った。落胆していたが、馬の努力に誇りを持っていた彼は言った。「彼はトライした。確実にトライした。持ちうるすべてのものを僕に与えた。僕らは最善を尽くし、彼は自分の価値をすべて出し切った。彼はタフだ。僕の知る限り彼はまだベストの状態だし、プリークネスSではもう一度トライできるよ」
さてボルチモアに移り、ジャコモとクロージングアーギュメントともう一度対決。アフリートアレックスは3対1の本命になった14頭立ての2冠目にニック・ジトー厩舎からは5頭のダービー出走馬のうち3頭(サンキング、ハイフライ、ノーブルコーズウェイ)が戻ってきた。アレックスはスタンドとgapの近くに集まる群衆から響き渡ハイリミットとる「アレックス・・アレックス・・アレックス」のいう繰り返される声のする馬場へと歩み入った。
初めてブリンカーを着用したボビー・フランケル管理のハイリミットがゴーイングワイルドを交わし、予想通り前に行き、スクラッピーティー、ギャロッピンググローサーは右後方に。ハイリミットとゴーイングワイルドがお互い譲らず、fastと発表された乾いていく馬場上で23.17, :46.07, 1:10.72のラップを刻みペースは速かった。
ローズは不利な12番枠からスタートを切りゲートから出ると見事な左折をおこなった。そしてどうにかアレックスに2つの進路を与えて最初のコーナーへ向かった。アレックスを先頭から約10馬身差のイン10番手につけさせた。道中ずっとセーヴしながら、なおラチ沿いを進み3角あたりで動きだし追い抜き始めた。
そのころにはウィザーズS(G3)勝ち馬スクラッピーティーがハイフライを片付けて直線入り口に近づくにつれてリードをひろげていた。ただ一頭の馬だけがスクラッピーティーを捕まえに狙いを定めた。それはアーカンソーダービーやマウンテンヴァレーSと同じように暴走気味に急進するアフリートアレックスであった。
アレックスはハイリミットの外に楽に行き、まるでハイリミットが静止しているかのように追い抜き、それからスクラッピーティーに襲い掛かった。唯一の論点はアフリートアレックスは何馬身つけて勝てただろうか、というものだ。それから競馬の歴史でもっとも恐ろしい瞬間のひとつが起きた。「私のできることは何も無いよ」とドミンゲスは言った。「アフリートアレックスがそこで右にいたのは知っていた。振り返り、そしてつまづくのを見た。恐ろしかったが、幸運にもみんなOKだ。意図的なものではなかったことはジェレミーもわかってると、私は確信している。」
ローズは最後の1ハロンでしつこく何度も右ムチを叩き、リードを広げ続けた。深い馬場においてはすばらしい時計である9.5Fを1:55.04、最後の300mを強い印象を残す19秒ちょうどでまとめた。スクラッピーティーはしつこく粘りジャコモに5馬身つけてゴールした(ジャコモはサンキングに1馬身差つけた)。
ダービー馬にとって、敗北に何の不名誉もない。「ダービーを勝ちプリークネスSで3着で戻ってきたことについて決まりの悪い思いをすることはない。」ジョン・シレフズ調教師は言った。「ジャコモについてたくさんのことを言うと思う」
人間のスピリットの力と、多くの方法で多くの生命に触れる一頭の特別なサラブレッドによって動かされながら、アフリートアレックスの不思議な旅は進む。
レース後の翌朝、ローズがベンチに座っていると、放牧地にいるアレックスが彼の方にやってきてその騎手の肩に頭を乗せ、数分間そのままでいた。前日ふたりは地の底を見つめたが、一方が他方を引き抜いて助けた。ローズはまっすぐ前を見て、背伸びをしてアレックスの頭の横をやさしく撫でた。感謝の思いがさまざまな形で満ちてきた。
(おしまい)